『アナスタシア ロシアの響き渡る杉』シリーズを読んでいます
こんばんは♪ たかねこです。
読書が生活の一部となっていて、本を開かない日はありません。
最近読んでいるのが『アナスタシア ロシアの響き渡る杉』シリーズです。
アナスタシアを知ったのはちょうど一年前です。
知人に勧められて見た、越川宗亮さんのYouTubeで紹介されていました。
越川さんはマヤ歴の協会(?)の代表者で、本当の自分、もう一人の自分について語っていく中で、アナスタシアシリーズに触れていたのだったかと記憶しています。
気になりつつも、とりあえず図書館の「今度読みたい本」に登録。
そして、すっかり忘れた頃にまた「アナスタシア」の文字を目にしました。
私が大好きなはてブロの発信者さんが、ロシアのダーチャ(農園付き別荘)を話題にしていたときに、この本について触れていたのです。
なんというか、正直言って多くの人がこぞって読みたがるような本ではありません。
それでも、その情報を得たのが2度目とあらば読むしかない。
というわけで、今はシリーズ4作目を図書館で借りてきて読んでいます。
外国語を日本語に訳した本は、たいがい読みにくい。
さらに内容が人間の根源とか起源とかそういったお話しで、なんとも掴みにくいです。
でも私は知りたい。
私がここに存在している意味を。
書いてあることを理解するというより、感じ取る本だと思って読んでいます。
この世の中はマッチポンプだなぁ。
解決という作業のために、新たな問題を作り上げている。
アナスタシアシリーズを読んでいて、改めて思いました。
改めてというのは、会社勤めをしていたときには特にそう実感していたからです。
私が最初に社会人になったときには、黒い画面に緑色の数字を入力し、でっかいフロッピーディスクにデータを保存していました。
それでも充分な進歩だったようで、先輩(お局)社員からは「私のときはそろばんだったのよ!」と威張られたものです。
何時代よ~~~*1
そして二度目に社会人になった頃には、パソコンが各自のデスクに1台ずつの時代が始まりました。
パソコンが導入されたことで仕事は効率的になったはずなのに、残業は増えるばかり。
おまけに「コンピュータを導入してやったって、お前たちの仕事は遅くなるばかりだ!」と、昭和初期生まれの経営者にドヤしつけられることもありました。
便利な世の中になったはずなのに、余裕が生まれない。
こんなに頑張ってるのに、なんで……?
もっと速く、詳しく、正確に。
もっともっともっともっと…
永遠に続くラットレース。
問題を解決してくれるはずのツールが、単に作業量を増やすだけの代物になっている。
そもそも、問題など何処にもなかったのでないかと思うようになりました。
人に消火作業をさせるために、誰かがマッチで火をつけているのではないかと。
ロボットが人の仕事を奪うのではないかと懸念する人がいるようですが、私はそんな心配は無用だと思っています。
人間がいる限り仕事は無尽蔵に増えていく。
実業家の本田晃一さんが「人は退屈に耐えられない」とおっしゃっていました。
しょっちゅう退屈の虫が騒ぎ出す私は、なるほどその通りだと思います。
例えばロボットのおかげでヒマになったとします。
そこで、退屈した人は新たな心配事や悩みを生み出す。
心配事や悩みのあるところに新たな仕事ありです。
マッチポンプの無限ループだぁ~('Д')
本の中のアナスタシアは言います。
「人間には最初からすべてが与えられている」と。
その意味するところを完全に捉えているわけではないのですが、言葉の通りだとするとやっぱり問題は最初から存在しないのでは…?
人は生涯を通じて
「それ、問題だー」「やれ、心配だー」「解決せねばー」
という遊びに興じる生き物なのかもしれません。
アナスタシアシリーズの日本語版は現在8の上巻まで出ていて、もうすぐ8の下巻が発売されるようです。
シリーズ最後の一冊を読み終えたとき、私は何を考えどんな感想を抱くのだろう。
とりあえず4巻目の先が気になって仕方ありません。
Byみーちゃん
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)
*1:+_+
タイヤ交換をしてきました。
こんにちは♪ たかねこです。
肌寒いです。
その上、雨…
そんな日は、何をするにも気乗りしない私です。
今日はそんなボヤキ投稿。
好きなことがいくつかあって「あっ!これしたい」と思うと、そればかり集中的にしています。
少し前は手紙ブームでした。
文通友達にせっせと手紙を書くのが楽しくて♪
その前はお絵かきブーム。
最近は車で出かけるのが楽しくて、ドライブブーム到来です。
1年半前に中古の車を買って、給油と洗車以外のメンテナンスを何も知らずに乗っていました。
ある日の夕暮れ時にライトを付けたら、前の片側の電球が切れていることに気づき大焦りΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)
用事を済ませたらとっぷり日が暮れていて、帰り道にあるイエローハットもオートバックスもすでに閉まっている時間でした。
交番と警察署の前を避けて通り、もう少しでフルサービスのガソリンスタンドに到着するというところで、おぉ~路肩でおまわりさんが何やら違反者を取り締まり中だわー( ゚Д゚)
どうにか気づかれずに通り抜け、GSで無事に電球交換をしてもらったときにはホッとしました。
その後セルフのGSで給油をしたときに「タイヤの空気圧 点検できます」的なポスターを目にして、急にタイヤが心配になってきました。
そうよね…自転車だって定期的に空気を入れないと抜けてくるのだから、車の空気もきっと抜けているはず。
そのスタンドを後にしながらぐるぐる考え始めました。
スタンドの器具を使って自分でする自信はまったくなく、さてどうしようか。
(セルフでも、店員さんにお願いしてやってもらえるそうですね。)
悩んだ末、家の近所のタイヤ館に行くことにしました。
タイヤのことならタイヤ館だろう!ってことで。
空気圧の他一通りタイヤの様子を見てくれて「この車まだ乗りますかー?」と。
どういう意味だろうと思いつつ、元気よく「はい!」と答えると「タイヤの溝がですね…早めにタイヤ交換した方がいいです」。
そうなんだぁ。。。
この際、他に交換した方が良さげなものは換えてもらおう。
タイヤは安い買い物ではないので、一旦検討することにして「1年半オイル交換したことないので、それもお願いします。」と、数日後にタイヤ館でオイル交換をしました。
オイル交換の時は車のパーツを一通り見てくれたようで、エアコンフィルターの汚れとワイパーゴムの劣化を指摘され、それらも交換してもらいました。
メンテナンスするごとに、なんとなく乗り心地が良くなっていくような気がします。
なんか嬉しくなって、結局タイヤもタイヤ館で交換することにしました。
そして今日、新しいタイヤに交換してもらいました!
これは乗り心地の違いがハッキリわかります。
あぁ、タイヤ交換してよかったぁ(#^.^#)
中古は後からお金がかかるとか、他でも見積もりを取った方が良かったのではないかと思う方もいらっしゃるでしょう。
いいのです。
私とご縁があったパッソちゃんを、いろいろ面倒見てくれるところが見つかってよかった。
数か月前にバッテリー交換をしたお店では、バッテリーしか見てもらえなかったし。
その時は、こちらから点検をお願いするという考えすらありませんでした。
頼んだことだけやってくれればいい人もいるでしょうし、私のようなチンプンカンプンはあれこれ世話を焼いてくれる方が助かります。
ともあれ、私は近所のタイヤ館が大変気に入りました。
明日は晴れるみたいです。
コキアがある(らしい)公園まで車で行ってみようと思います。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)
女子は生涯おひめさまでいい
こんにちは♪ たかねこです。
小さい頃から、何かしらの力で私を屈服させたり脅かすものに敏感でした。
その代表格が「男」という存在。
実際に怖い経験をしたこともあり、いつの日からか「男に負けたくない」という気持ちが強くなっていた気がします。
私が若い頃はまだ男性らしい職種、女性らしい職種がはっきりしていたと思いますが、男女の区別がない仕事を選んだのは、男の人と同じ土俵で戦いたかったからかもしれません。
強くあらねば
強くありたい
その思いで生きてきて、女性らしさについて考えないようにしていました。
その下に隠れているのが自己卑下。
「私は誰かに虐げられる」という思い込み。
なので、ペンフレンドからもらった言葉に驚愕しました。
女は生まれたときから女性で
自分を女子として女のコや少女やおひめさまでいさせてくれる男性が必要で
その男性に「あなたはとても重要よ♡」ってささやき続けるために
自己重要感を特にたくさん育む必要があるように出来ているような気がします
ペンフレンドはこう書いてくれました。
そうか、女子とはこういう生き物だったのか。
自己重要感は育んでいいんだ。
そもそも、そんな風にささやき続けようなどと考えたこともない…
私は二度の結婚を通じて、男性を服従させようとしていたのかもしれません。
今の夫はとてもとても優しいです。
その優しさを弱さだと思っていた時期がありました。
だから私がもっともっと強くなって、しっかりして、夫を私に従わせなければ…
結局、体がついていきませんでした。
無理を重ねたおかげで女性らしさを司る臓器、卵巣を2つとも失いました。
これは、自分自身と自分の女性性を否定し続けてきた結果なのだと思っています。
今では夫のすることは夫に任せていますし、私の方が頼りきりです。
夫自身もその方が幸せそう。
若い女性と接すると、自分がおばさんではなく、おじさんのような気がしてなりません。
体が大きいのでなおさらです。
でもかつては、絵本のシンデレラやピンクレディに憧れた時期もありました。
私は女の子だった。
中身はおじさん風味でも、気持ちだけはおひめさまで生きてみよう。
今からでも。
そんな風に思いました。
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あることに気づいて考え方を改めようとするとき、つい過去に遡ってそうなった原因を突き止めようとしてしまいます。
そのため、ブログに書いている内容が回顧録や懺悔のようになってしまいがちです。
良いか悪いかは別として、そういうことなんです。
Byみーちゃん
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)
気を引こうとしないと好かれる
こんばんは♪ たかねこです。
昨日の記事で、知り合いが主催するマルシェで久しぶりに同期たちと再会したと書きました。
私は、集団の中ではいつでもどこでも影が薄い人。
自分をそのように評価してきました。
だから、私を覚えていてくれているだろうか?と思いながらマルシェの会場へ向かいました。
やっぱり誰も私に気づかない。
と思ったら、ピンク頭になった私が5年前の私と重ならなかっただけで、みんな覚えていてくれました。
よかった…
再会できたのはほとんど女子で、その内の一人に「わぁ~、面白くて大好きだったの~!」と言われました。
そ、そうなの???
卒業して数十年たった同窓会で「あの頃好きだったんだよね~」と、同級生に今さら告白されて戸惑うおじさんの気分…
「だって自己紹介のスピーチが忘れられなくてー。」と彼女。
自己紹介スピーチで、会場がどよめく内容のエピソードをかましていたのでした。
持ち時間はキッカリ3分。
話の最後の方で「実は、私は〇〇の経験をしまして…」とそこでタイムアップ!
それで、その後どうなったのだろう???と気になる人が多かったようです。
3か月ほどある講座に通っていて、同期とはそのとき一緒に学んだ仲間たちです。
どうせその3か月を過ぎれば関係なくなるんだし…
講座期間中だけでも自分を印象付けようなどと、浅はかな考えで放った言葉でした。
(その結末は講座最終日のプレゼンでご説明しました。)
私は人があまりしないような経験をしたの。
すごくツラかったけど乗り越えてここまできたの。
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そんな可哀想な人アピールに聞こえるエピソード。
女性陣は興味津々、男性陣は冷ややかな受け止め方に見えました。
そんなわけで、その集団の中では後々まで印象に残る人となったようです。
今はそんな話をふれまわったりしていませんよ(^_^;)
昨日の記事で拗ねていた自分の話を書きました。
そんなことをしたのも、拗ねていたが故の言動。
今でもときどき拗ねた私が顔を出すことがありますが、基本的にはこのままの私で大丈夫だという安心感があります。
集団の中で、影が薄かろうが濃かろうがどっちでもいい。
私は私を大切に思っているし、信頼している。
だから安心していられる。
それだけでいいのです。
不思議なことに、他者からの好意を求めなくなったら、人から「大好きー!」と言ってもらえるようになりました。
年下の女性ばかりですが…
以前の記事で、自分の自己重要感の強さについて書いたことがあります。
同じような話を、私に「大好き」と言ってくれるペンフレンドに書き送ったら、こんな言葉を返してくれました。
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女は生まれたときから女性で
自分を女子として女のコや少女やおひめさまでいさせてくれる男性が必要で
その男性に「あなたはとても重要よ♡」ってささやき続けるために
自己重要感を特にたくさん育む必要があるように出来ているような気がします
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この文を読んで、私は自分の女性性を否定しようとしてきたことに思い至りました。
今考えると、拗ねと相まって、いろんなことをこじらせてきました。
この続きはまた後日。
Byみーちゃん
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)
小顔矯正に行ったら自分の拗ねに気づいた
こんばんは♪ たかねこです。
昨日、知人が主催するマルシェに行ってきました。
出展者たちも、数年ぶりに会う知り合いばかり。
半分お付き合い、半分楽しみで車を走らせました。
パン屋さん、お香&マヤ歴、マッサージ、小物販売、小顔矯正、カラーセラピー、アクセスバーズなどさまざまなブースがある中、小顔矯正をしてもらいました。
ホント言うと、顔を小さくしてもらおうと思って行ったわけではないのです。
用事があって滞在時間が長く取れないところで、たまたま空きがあったのが小顔矯正でした。
小顔セラピストの知人が私の顔を見るなり「これからどうして行こうか、迷ってるでしょ?」と聞いてきました。
「なんでわかるの?!」と尋ねると「お顔に書いてある」と。
彼女はほとんど交流のなかった知り合いです。
例えていうなら、同じクラスだけど会話もしたことがない同級生みたいな感じ。
スゴ!
顔を見ただけでわかっちゃうんだ。。。
さらに私の姿勢を確認して「足がちゃんと地についていなくて、背中がS字になっている。頭でばかり考えているから、ふわふわ迷っちゃうんんだよ」と。
うーん、おっしゃる通り。
顔だけでなく体を整えるセラピストでもあるので、体に触れることで、その人が何に躓いているのかがわかってしまうそうです。
20分という短い時間で曲がった足をまっすぐにし、その上で頭や顔の骨格を矯正してくれました。
終わってみたら、頭がスッキリ!
目がパッチリ!
その知人に「目が大きく開くようになったでしょ?広い視野で見るといいよ」とアドバイスをもらいました。
視野が狭く狭くなりがちなのは私のクセのようなもの。
確かにそれは大事だなぁ。
そして後でじっくり鏡を見たらまたビックリ。
長い顔が縮まってる!
そしてほうれい線が無くなってる!!
たるんでいた頬のあたりがスッキリしてる!!!
翌日になっても戻らないのが、またスゴイ!
でも彼女が本当にしたいのは、お客様を小顔にすることではないのだそうです。
顔や体を整えることを通して、お客様が自分と向き合って人生を輝かせる、そのサポートをしたいのだそう。
だから彼女の元へやってくる人は美容目的というよりは、ブレそうになった軸を元に戻したい人が多い。
そっかぁ。
人生を輝かせるために顔や体を整えるのね。
彼女のサロンは他県にありますが、今度はじっくり施術してもらいに行こうと思っています。
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彼女がセラピストだということは前から知っていましたが、遠巻きに眺めているだけでした。
いつも明るく自信に満ち溢れた彼女とは、なるべく接触しないようにしていた。
私、実はすごく拗ねていたんです。
数日前から苦手なAさんのことが頭に浮かんでしかたなく、私は何でこの人のこういうところにいつまでも引っかかるのだろう?と考えていました。
そして小顔の施術を受けている最中にその答えがわかりました。
Aさんの自信満々な態度が、なんか気に入らなかった。
つまり私は自分に自信を持ちたかったのです。
自信溢れるセラピストに再会してみてわかりました。
それがわかっただけで、ナゾに大丈夫な気がしてきました。
伝わらないかもしれないけれど…
以前は拗ね拗ねの状態だったからこそ、小顔矯正の彼女とはご縁がなかったのかもしれません。
もしその頃に施術を受けにいっていたなら、途端に彼女に依存するようになっていたことでしょう(でも拒否されていたと思います)。
拗ねて遠巻きにしていたくせに。
今なら、彼女が言ってくれることを自分の中でゆっくり検討して、どうしていくかを自分で決められる。
そう思えたから、他県のサロンまで行こうとしています。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)
お告げ「道を選ばなくていい」
こんばんは♪ たかねこです。
お友だちが念願のお店をオープンさせました!
ハンドメイド作品やお弁当の販売、カフェ、レンタルキッチン、レンタルブースなど、想いをたくさん詰め込んだ彼女のお城です。
作品やお菓子は受託販売もしています。
彼女のお店にスコーンの販売を委託している女性がいるそうです。
まだお若い方のようですが「スコーン一本で生きていく!」と言っているとか。
また、そのお店のスペースを借りてラテアートのイベントを開催する男性がいるそうです。
その方も「ラテアートで生きていく!」と言っているとか。
お友だちは「そんな人ばかりが集うお店なの」と笑っていました。
その反面「できる限り応援はするけど、、、それだけで生活できるまでには、ねぇ…」といった心配も。
現実的に考えたらそうですよね。
でも、それステキ!!!って思いました。
こんな夢のあるお話しってありますか!
今どき、リスクをとって夢を追える人が身近にどれだけいますか!
たとえうまくいかなかったとしても、いい経験が一つ増えるだけ。
そもそも、お友だちのお店だって大したチャレンジです。
最近は、私もそろそろ何かしらの活動をしたいと思っていました。
でも、何をしよう…
具体的な案が浮かばずに悶々とする日々。
そしてある朝、また言葉が降りてきました。
「道を選ばなくていい…」
そうだよね~!
彼らのように「私はコレをして生きていく!」って一つに絞らなくていい。
過去には「〇〇の職に就くぞ!」と、力みまくってやってみたことがあります。
でも、そういう生き方はやめたんだった。
今は、力業でどうにかするのをやめて流れに身を任せています。
そんな時期があってもいいじゃないか。
ずっとずっと、自分にムチを打って頑張ってきたのだから。
どっちが良いとか悪いとかではないのです。
今の自分にとって、どんな生き方が合っているのかというだけのこと。
だから、誰かの活躍を目にしたり耳にしたりしても、ステキ!と思っても羨ましいとは思わなくなりました。
たぶん、今の生活を心から楽しんでいるからなのでしょう。
いつだって自分と相談していれば大丈夫。
朝目が覚めるころに返信をくれるから。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)
3歳のころ大人に対して抱いていた疑問が、今の自分を常識から解放してくれる
こんにちは♪ たかねこです。
ヒマです。
とってもヒマ!(≧▽≦)
そして、ヒマはこの上なく幸せ♡
この有り余る時間を利用して、私は自分の本質を取り戻そうとしています。
どうやって?
幼稚園に上がる前ぐらいの私は何を感じ、考えていたのか。
それをできる限り思い出そうとしています。
たぶん3歳頃の私の記憶に、私が私らしくいられるヒントがあるような気がしているのです。
子どもの頃から傷つきやすかった。
大人はずるい。
理不尽だ(もちろんその頃はそんな言葉では考えていませんが)。
とっても悔しくて悲しい思いを何度もして、その度に「私は大人になっても絶対に、このときの子ども心を忘れない!」と自分に誓っていたものです。
それが…
自分に誓ったことは覚えていても、具体的に何に怒っていたのか、悲しんでいたのかを思い出せないでいます。
でも、忙しい生活を手放したら少しずつ思い出せるようになってきました。
怒りや悲しみといった強い感情を伴うエピソードというよりは「子どもの頃はこんなことを疑問に思ったなぁ」といった内容です。
子どもの頃に抱いた疑問。
それは、大人になった自分の常識を覆してくれます。
自分をぐるぐる巻きに縛っていた鎖を断ち切るように、何重にも被さっていた殻を破るように、その疑問を思い出す度に解放感を得られるのです。
最近思い出した子どもの頃の疑問。
それは、、、
小さい頃って大人から「大きくなったら何になりたい?」と聞かれましたよね。
私が育った家庭ではそんな夢のある質問は一切ありませんでしたが、小学校低学年になるとそんなタイトルで作文を書かされました。
「何になりたいって…何かにならないといけないの?」
それが小さい頃の私の疑問でした。
すべての肩書きを捨てた今だからこそ、それを思い出したのかもしれません。
いま世の中にある職業とか役割などに自分を当てはめにいかなくていい。
どう生きるかは自分で選べる。
そして、選ぶ基準は自分の心だけが知っている。
私たちは、ずっと誰かから評価されながら育ってきました。
お勉強ができる子は〇
そうでない子は✕
足が速い子、器用な子、明るい子は〇
そうでない子は✕
最近では、小顔が〇で大きいのは✕とかね。
誰が決めた基準なんでしょうね。
ウチの夫は、他人と自分を比較して羨ましいと思うことがないそうです。
いつだって自分が基準で、それとは違う他人がおかしいと言います。
「おかしい」というのもナンですが、きっと誰かが夫に対して「おかしい」と言うから「お前の方がおかしい」と言いたいのでしょう。
夫は身長が平均より高めで、顔も頭も大きいです。
帽子が似合わないのなんのって…
それはさておき、彼は自分ではなく周りのサイズ感の方がおかしいと豪語します。
その感覚を理解するのに20年かかりました。。。
でも解るようになってよかった。
胴が長いのは✕だと思ってきました。
面長や鼻ペチャは✕だと思ってきました。
ヒマは✕だと思ってきました。
もっといえば、自分の楽しさを優先するのは✕だと思ってきました。
きっと3歳児の私は、そんなことチラっとも思わなかったことでしょう。
囚われの少ない、あの頃の感覚をもっと取り戻していこうと思います。
今日の一枚
Byみーちゃん
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)