他者に対するお節介を猛反省 課題の分離は相手のためでもある
こんばんは♪ たかねこです。
今日は、お友だちとおしゃべりを楽しんできました。
だいたい月イチペースで会っていた2人と久々の再会。
おばさん3人の会話は何時間も止まりません(≧▽≦)
50歳前後にもなると家庭のこと、親の介護のこと、自分の体調のことなど、いろんな事情をそれぞれが抱えています。
それを、ついこぼしたくなることもあるじゃないですか。
ちょっとそんな話を耳にしようもんなら「だったらこうしたらどう?」とか「こう考えたら?」など、聞かれてもいないのについつい要らないアドバイスをしてしまうんです。
空気を読めないスーパーお節介なんですよね、私。。。
何人かのお友だちと文通をしているのですが、それぞれが私宛の手紙を書くのに際して「こんなネガティブなこと書いてはいけない」などと気を遣ってくれているようです。
たぶん、ちょっと悩んでそうなことを書こうもんなら、私が本気で心配してつらつらお節介の手紙を送ってくるから、うっかり愚痴も書けないのでは?!
なんてこったー!
お友だちは、話を聞いて欲しかっただけなのかも知れないのに…
私のお節介の裏には、誰かの役に立ちたいとか人に対して影響力を持ちたいといった、自己重要感を満たしたい欲求が隠れているのだと思います。
人は、生きているだけでお互いに影響を与え合っているのにね。
いくらお友だちでも、彼女たちの悩みに私が踏み込むべきではありません。
自分の体験談なら語れることがあっても、どう捉えてどう行動するかは本人の問題。
私がアドバイスするのはお門違いです。
いわゆる”課題の分離”は、悩みを抱えている本人に余計な気を遣わせない配慮でもあるのですね。
今日は家に帰ってから猛反省しました。
(´・ω・`)ショボン…
Byみーちゃん
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)