3歳のころ大人に対して抱いていた疑問が、今の自分を常識から解放してくれる
こんにちは♪ たかねこです。
ヒマです。
とってもヒマ!(≧▽≦)
そして、ヒマはこの上なく幸せ♡
この有り余る時間を利用して、私は自分の本質を取り戻そうとしています。
どうやって?
幼稚園に上がる前ぐらいの私は何を感じ、考えていたのか。
それをできる限り思い出そうとしています。
たぶん3歳頃の私の記憶に、私が私らしくいられるヒントがあるような気がしているのです。
子どもの頃から傷つきやすかった。
大人はずるい。
理不尽だ(もちろんその頃はそんな言葉では考えていませんが)。
とっても悔しくて悲しい思いを何度もして、その度に「私は大人になっても絶対に、このときの子ども心を忘れない!」と自分に誓っていたものです。
それが…
自分に誓ったことは覚えていても、具体的に何に怒っていたのか、悲しんでいたのかを思い出せないでいます。
でも、忙しい生活を手放したら少しずつ思い出せるようになってきました。
怒りや悲しみといった強い感情を伴うエピソードというよりは「子どもの頃はこんなことを疑問に思ったなぁ」といった内容です。
子どもの頃に抱いた疑問。
それは、大人になった自分の常識を覆してくれます。
自分をぐるぐる巻きに縛っていた鎖を断ち切るように、何重にも被さっていた殻を破るように、その疑問を思い出す度に解放感を得られるのです。
最近思い出した子どもの頃の疑問。
それは、、、
小さい頃って大人から「大きくなったら何になりたい?」と聞かれましたよね。
私が育った家庭ではそんな夢のある質問は一切ありませんでしたが、小学校低学年になるとそんなタイトルで作文を書かされました。
「何になりたいって…何かにならないといけないの?」
それが小さい頃の私の疑問でした。
すべての肩書きを捨てた今だからこそ、それを思い出したのかもしれません。
いま世の中にある職業とか役割などに自分を当てはめにいかなくていい。
どう生きるかは自分で選べる。
そして、選ぶ基準は自分の心だけが知っている。
私たちは、ずっと誰かから評価されながら育ってきました。
お勉強ができる子は〇
そうでない子は✕
足が速い子、器用な子、明るい子は〇
そうでない子は✕
最近では、小顔が〇で大きいのは✕とかね。
誰が決めた基準なんでしょうね。
ウチの夫は、他人と自分を比較して羨ましいと思うことがないそうです。
いつだって自分が基準で、それとは違う他人がおかしいと言います。
「おかしい」というのもナンですが、きっと誰かが夫に対して「おかしい」と言うから「お前の方がおかしい」と言いたいのでしょう。
夫は身長が平均より高めで、顔も頭も大きいです。
帽子が似合わないのなんのって…
それはさておき、彼は自分ではなく周りのサイズ感の方がおかしいと豪語します。
その感覚を理解するのに20年かかりました。。。
でも解るようになってよかった。
胴が長いのは✕だと思ってきました。
面長や鼻ペチャは✕だと思ってきました。
ヒマは✕だと思ってきました。
もっといえば、自分の楽しさを優先するのは✕だと思ってきました。
きっと3歳児の私は、そんなことチラっとも思わなかったことでしょう。
囚われの少ない、あの頃の感覚をもっと取り戻していこうと思います。
今日の一枚
Byみーちゃん
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)