「才能って何だろう」から始まり、社会とのかかわり方について
こんにちは♪ たかねこです。
「”気づき”のおすそ分け」なんて書いておりますが、このブログは私が私に「忘れるなよ!」と言い聞かせるための備忘録でもあります(^_^)
才能とは人から求められ、評価されたり称賛されたりする能力だと思っていました。
振り返って考えてみると、そういう捉え方をしていたなぁと。
今はというと
楽しくて楽しくてついやってしまう、気づくと夢中になっている、そしてそれをずっと続けている。
そういうことを才能と呼んでいいのだと思っています。
続けているといっても途中でお休みするのもアリでしょう。
いつも頭の片隅にはあって、タイミングや気分的に”そのとき”が来たらいつでも再開したい大好きなことであれば、それは才能!
かつての私は、人から求められ評価されたり称賛されたりする能力なんて何もない、だから才能なんてないと思っていました。
なんでそんなに拗ねてしまっていたのでしょう。
きっと、自分と社会との関係性にひねくれた思い込みがあったからです。
世間とか社会とか世界とか大きな存在があって、私という小さな個人はその中にいて、すみっこにひっそりと置かれていると考えていました。
社会ありきの私の存在。
あんまりだ。
悲しすぎる…(´;ω;`)ウゥゥ
それに気づいてから、悲しくならない考え方に変えることにしました。
まず、私を中心とした球形の世界が存在している。
そして、その世界は人間の数だけあるのです。
私の世界の球と誰かの世界の球の一部分が重なることがあって、そのときその誰かとの関係性が生じる。
この考えイイ!これなら気持ちが明るくなれる♪
だってこれなら多くのことが自分の中で完結するので、他人の評価を気にしなくていいじゃないですか。
私ありきで社会が存在するのです。
この気づきが才能に対する考え方の変化につながりました。
見えている世界は思い込みでできているのだから、気分が上向きになる思い込みを採用するようにしよう!
ということで、今日も私は自分の世界の中で楽しくて仕方ないことを才能と信じてせっせとやっています。
とはいえ、自分が才能と思っていることを「そんなの変だよ」「レベルが低いよ」といわれることもあるでしょう。
でも80億個もの世界があったら、自分と似たような感性の世界が必ず存在するはずです。
心地よさを感じる世界を持つ人と仲良くすればいいだけ。
そして、自分の持っている何かしらが人から求められてしまうから、その何かしらを仕事にすることができます。
それは才能と信じていることとは違うものかもしれないけれど。
そうはいっても、(心の中では)才能と誇ることを人から褒められれば嬉しいものです。
でもそれは、あくまでも結果のお話しですし、そこを目的にすると要らないな苦悩を生みます。
つくづく思うのですよ。
自分で自分を高く評価できることが、一番納得できて安心できて、幸せを感じられると。
意識の上で、自分の中に他人を必要以上に介入させないことは、心の平和にとってとても大切だと。
今回も、とっても偏ったお話の展開となりました。
伝わりますかどうか…
でも皆さんにもありますでしょう?
偏ったマイワールドが。
今日のお絵描き
Byみーちゃん
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)