”気づき”部~アラフィー女子から気づきのおすそ分け~

たかねこと申します。のんびり暮らしから得た”気づき”のシェアをしています(^_^)

イヤな人はあなたの宝。本当の強さとは?

こんにちは♪ たかねこです。

 

関東はスッキリしないお天気が続いています。

GWは晴れるといいですね。

 

 

 

stand fmという音声SNSで「いいことシェアリング」と題して、日常のちょっとした”いいこと”のシェアをしています。

https://stand.fm/episodes/626354ecff6bba0007bbb63e

日々のほんの些細な出来事から、いい側面を見つけようという意図でスタートしました。

 

 

でも、いいこと探しを日常的にしているからといって、イヤなことは普通にあります。

ちょっとしたイヤなことは、捉え方で解消できるでしょう。

 

 

例えば、

急に雨が降ってきてスニーカーがビショビショ…

⇒洗う口実ができたわ(^^)

などです。

 

 

 

特大サイズのイヤなことも、ときにはやってきます。

そしてそれは、たいがい人間関係の問題です。

 

 

 

特大サイズ、そして他人が絡んでくるとなると、つい「私は悪くないのに」「ツイてない」「アイツが悪い」などと思いがちです。

しかし本当は、自分自身がイヤなことを特大サイズに育て上げているのかもしれない。

そんな風に思うようになりました。

 

 

 

まずは、

「あの人のああいうところ、イヤなんだよなぁ」

「いやなんだよなぁ」

「嫌なんだよなぁ」

って、そこに注意を向けているとドンドン拡大していきます。

 

 

そして「あの人はイヤな人」である証拠を集めるようになるので、ますますイヤが強化される。

 

 

更に、イヤなことをされたときに毎回同じ対応をしているので、イヤなあの人との関係は一向に変わらない。

 

 

そのループにハマると”イヤ”はドンドン大きく強く育ちます。

 

 

 

私の考えですけれど、イヤな人がいるっていうのは、人生で乗り越えるべき課題を与えられているということなんじゃないでしょうか

 

 

だから、例えイヤなあの人が目の前から消えても、同じようなことをしてくる別のイヤな人が現れる。

↑↑↑これ、よくある話でしょう?

 

 

結局のところ、何度も繰り返す問題を解決するためには、それまでと違う対応をとる以外に方法は無いのだと思います。

 

 

以下は私の例として書きます。

イヤな相手はごく身近な身内2名です。

何がそんなにイヤなのかは省きますが、そこまでこじらせるような家庭環境だったとお考えください。

 

 

家族以外でもすご~くイヤだと感じるのは、いいように丸め込まれて上手く利用されていると感じるケースが多いですね。

お人好しでおめでたい人なんで、私(≧▽≦)

 

 

 

まずはイヤな人たちと距離を置きました。

近い身内ですから、顔を合わせなければならない機会もあります。

そのときは、なるべく過去のことは忘れて新鮮な気持ちで望むよう努めました。

イヤだなぁと思っても、いつも通りガマン

この場をやり過ごせばいいだけなんだからと…

 

 

イヤなことって「その言葉!」とか「その態度!」と、その場で指摘できる内容ばかりではないのが厄介なところです。

更に、私自身がイヤを伝えられない人だったことも問題です。

 

 

後々なんかモヤモヤ~っとしてきて、翌日から3日ぐらいはグッタリ(-_-;)

それの繰り返しでした。

 

 

家族であるからこそ、相手はイヤなことをしている意識はなく、きっと当たり前にしていることです。

だから、なんとなく避けている様子を見せているぐらいでは、こちらのイヤな気持ちに気付かないというのも厄介ポイント。

 

 

そこで私は、行動を変えると決めました。

・我慢しない

・イヤを伝える

・希望を伝える

 

 

いきなり本丸(イヤな身内)を攻めるのではなく、まずは小さなことから始めました。

例えばマッサージに行って「もう少し弱めでお願いします」などからスタートして、美容院で「カラーが気に入らなかったので、やり直してください」と注文できるようにまでなりました。

 

 

我慢がデフォルトで、何の希望も伝えられなかった私にとっては、美容院でやり直しを依頼するなんてかなりのステップアップです(^^)

 

 

そして遂に、本丸である身内に対する行動を変えました。

残念ながら、関係を良くしようとしての決断ではありません。

 

 

今年の年始と昨日、堪忍袋の緒を自ら切りました。

もう関わりたくない旨を伝え、それ以降連絡を取れない状態にしています。

 

 

相手からは

「そんなことをされたら生きていけない」

「そんな風に思っていたなんて残念だ」と

こちらに罪悪感を抱かせる言葉が来ました。

 

 

そもそも「罪悪感を抱かせようとしている」と思うのは私の捉え方の問題であり、この感情の処理こそが私の課題です。

 

 

私に対して怒りを感じているのか、それとも悲しみを感じているのかはわかりませんが、それは相手の問題であり、その感情をどうするかは相手の課題です。

 

 

もっと穏便にことを進ませた方がいいと思う人が多いことはわかっています。

100人いたら100人が「そんなやり方はおかしい、不道徳だ」と言ったとしても、これが私の生き方です。

 

 

私たち家族の関係は、今後良い方向に向かう可能性は低いでしょう。

でもそこから、きっと何かしらの学びと気づきがあるはずです。

 

 

 

今この段階でふと気づきました。

人の「強さ」とは、自分自身の課題に向き合い乗り越える力だと。

そして、人の気持に添おうとすることが必ずしも優しさではないとも思います。

(一緒になって悲しもうとするとかね…)

 

 

 

イヤなことには、なるべく意識を向けないのが一番でしょう。

でも、特大サイズに育ててしまったイヤなことは、気づきと学びの宝庫だと思いますよ。

 

人って何でも複雑に考えるわね。物事は至ってシンプルなのにね~。
 

 f:id:takanenoneko:20220330124036j:plainByみーちゃん

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)