『愛少女ポリアンナ物語』の”よかった探し”はエセポジティブ?!
こんばんは♪ たかねこです。
昔「ハウス名作劇場」という、子ども向けアニメのテレビ番組がありました。
少女が主人公のストーリーが多く、度重なる不幸を乗り越えて最終的にはハッピーエンドになる、シンデレラストーリーがメインだったような。
うる覚えですが…
今でも印象に残っているのが『愛少女ポリアンナ物語』の主人公、ポリアンナのセリフ「よかった!」です。
物語の始まりから父子家庭だったポリアンナは、第2話には父も亡くなり孤児となってしまいます。
牧師さんだったお父さんが死に際にポリアンナに言うのです。
「ポリアンナ、よかったを探すんだ…」。
お父さんが伝えたのは、(それまでも2人でやってきた)どんな出来事からもよかったと思えることを探すゲームのことです。
どんな困難な状況でも明るく生きていけるように、そんな親心から出た知恵なのでしょう。
当時中学生だった私はアッという間に感化され、早速よかった探しをはじめた記憶があります。
そして、アッという間にそのゲームにウンザリして放り出しました。
中学生ですもの。
人生思うようにいかないを強く実感し始めた時期でした。
テレビでのポリアンナは「難しいほど面白い」などと言っていましたが、困難な状況でツラい気持ちを抱えながらよかった!を探すことに反発を感じたのを覚えています。
それでも、よほど言葉のインパクトが強かったのか、ポリアンナのよかった探しは折りに触れ私の頭をかすめてきました。
そして、最近友人から届いた手紙にポリアンナの話題が書いてあったことがきっかけで、また新たな気づきにつながりました。
曰く「ポリアンナは自分を偽っている。健全ではない」とおっしゃった方がいたとのこと。
なるほど!中学生の私の反発心は、そこから来たのか!!!
ポリアンナ症候群なんて言葉もあるようですね。
困難な状況でも嫌なことでも無理ヤリよかったことにすることだと捉えれば、確かによかった探しは健全ではないし、ただただツラいだけです。
でも、作者はそんなエセポジティブを伝えたかったのだろうか。
あれから成長して大人になった私は、もう少し考えてみることにしました。
物語の内容はすっかり忘れています。
よかった探しのスタンスだけにフォーカスして、見方を変えてみようと試みました。
例えば…
- ポリアンナはとても純粋な少女で、父から受け継いだよかった探しを何の疑いもなく実行していたため、そこに心の葛藤はなかった。
- 不幸が重なりすぎてポリアンナの感覚が麻痺してしまい、ちょっとしたことでも大きな幸せを感じることができるようになっていた。
うーん、きっと違うと思います。
35年経った私の中のポリアンナ像はこんな感じです。
起きてくる出来事を自分の力でコントロールすることはできない。
だからポリアンナは、すべてを受け入れる覚悟をした。
それでも感情は動きます。
誰も見ていないところで泣いて泣いて泣いて、ときには人を恨んだり運命を呪ったりしたかもしれません。
陰で自分の感情を存分に開放したあとで、改めて現状に向き合ったのではないでしょうか。
「今、この状況でどんなよかった!を見つけることができるだろうか」と。
湧き上がる感情に蓋をして良い部分だけを見ようとするのと、感情を認めた上で前を向こうとするのでは大きな違いがあります。
これは私が経験から得た大きな学びの一つです。
昔見たアニメが35年後にこんな形で気づきにつながるなんて、人生っておもしろいです。
今こうして気づけてよかった!
今日のお絵描き
Byみーちゃん
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)