自分責めの正体とは
こんにちは♪ たかねこです。
関東地方の桜はあらかた散ってしまい、不安定なお天気が続いています。
体調がゆらぎやすいアラフィーには、ちょっと厳しい季節の変わり目です。
具合の悪いときにはには無理をせず、ゆっくりマイペースで過ごしています(^^)
さて、今日も過去の私の経験談です。
以前のブログで「さぁ、趣味をみつけるゾ!」と意気込んだものの何一つ続かなかったと書きました。
そこで、続けられない自分はダメなんだと思うように…
私のこの例ではたかが趣味。
続けられなくても誰に責められるわけでもないのに、謎に自分責めをしていたんです。
今となってはホントに謎でしかありません。
何でそんなことで自分を責める?
その当時は、そもそも自分で自分を責めていることにすら気づいてもいませんでした。
ご自身のことについて、思い当たる節はありませんか?
家事をちゃんと出来ていない。
子どもにきちんと向き合えていない。
家族の介護や看護が思うように出来ていない。
お客様や上司の期待に応えられるような、仕事の成果が上がっていない。
こんなんじゃダメだ!もっと頑張らなくては!!!
そんな風に自分に鞭打っていませんか?
自分で自分を責めることほど、生きづらいものはありません。
だって、自分らしさを否定していることと同義なのですから。
なぜそうなるかというと、いつの間にか目的がすり替わってしまっているから。
それともう一つ、「こうあらねばならない」という謎の固定観念(思い込み)です。
まずは目的のすり替えについて。
私は、楽しい時間を過ごしたいから趣味を見つけようとしたのです。
それが本来なのに、その作業を上手くやれることが目的になってしまっていました。
続けている内に上手くできたら、それはそれで嬉しい。
でも、それはあくまで結果でしかない。
当時は”結果を求める病”にかかっていて、作業そのものや過程を楽しむという感覚を喪失していました。
部屋を掃除するのは、きれいな空間で家族がリラックスして過ごすためです。
それが段々、きれいをキープすることが目的になっていくと「ほらっ、ご飯をこぼさないでよ!床が汚れるじゃないの!!!」と、家族を叱りつけるようになります。
そうなったら家の中がギスギスして、リラックスするどころじゃありませんよね。
それから、謎の固定観念について。
人は成長する過程で、親や周りの環境から様々な”常識”を学びます。
そして誰かから教わった常識が、いつしか自分の基準になっていてきます。
例え自分の意志や感覚からはかけ離れていることであっても、教わった常識や何かを判断する”ものさし”は絶対の行動指針で、私はそこから外れる自分を許すことはできませんでした。
そうなるとガッチガチの固定観念の出来上がりです。
素直で真面目な人ほど、そういう傾向は強くなるでしょうね。
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない。」
かのアインシュタインの名言だそうです。
最近読んだ小説で知りました。
今なら全力で納得です。
「こんなんじゃダメ」っていう基準はどこから来たの?
それは、私が私らしく幸せに生きるために必要?
誰の常識?
ここ2~3年は、折に触れて何度も自分にこの質問をしてきました。
自分大変革の基盤ともいえる部分です。
「固定観念を覆す」というテーマは私にとってとーっても大事なので、今後も継続して書いていきたいと思います。
話を自分責めに戻します。
自分を責める=今の自分じゃダメだという思い込み=自分が嫌い
となります。
そうなると家族を含め他人をも責めるようになり、人間関係も体調も悪くなって良いことは一つもないんです。
でも人間て、本当の本当は自分が大好きなんだと思うのですよ。
全然自分を好きになれなかった私が、今はそんな風に感じます。
本当は自分のことが世界で一番大事で大好きだって思い出すことは、幸せな人生を送る上で大切な要素だと思います。
自分責めをやめるというのは、自分大好きを思い出す重要なプロセス。
そこで私は、自分責めをやめるために
・目的を振り返る
・固定観念を覆す
を繰り返し行ってきました。
そのおかげで今や、
何もできない自分に満足しています(*^^*)
Byみーちゃん
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(*^^*)